みなさん、改めましてこんにちは。
今回のコラムから、いよいよ本題――新・脳トレカレッジのカリキュラム、「7教科制カリキュラム」に入っていきたいと思います。
この7教科とは、国語・数学・理科・社会・英語・体育・音楽。(体育・音楽はまだ仮)
それぞれの教科に、悩みを解決し、願いを叶えていくための具体的な“心の構造”と“実践”が組み込まれています。
本当はですね、これまで書いてきた植物モデルだけでも、
「そういえばあれも説明しなきゃ」
「年代別も出しておきたい」
と、まだ後から後から湧いているものがありまして、書こうと思えばまだ書けそうなんですけど汗
でも、それをすべて出し切っていたら、たぶん私は一生、植物モデルから離れられなくなってしまう。(体に苔が生えちゃう🌱)
なので、ここでいったん植物モデルを切り上げて…っと。
2026年2月からは“植物モデルの段階を実際に上げていく”ための学び=7教科カリキュラムを整えていきます^^
こういった心の世界に興味を持つ人は、私も含めて
「別に成長したいわけじゃないw 」
「悩みを消して願いを叶えたいの!」
というのが第一目的かと思いますが、要は「植物モデルの段階を進めていく」ことが、「悩みを消して願いを叶える」一番手っ取り早い方法になります。
ということで!
「悩みを自分で解決し、願いを叶えられるようになるスキル(=植物モデルを進める具体的なトレーニング)」を“日本人に最も馴染みのある教科形式”でまとめ直す――
これが、脳トレカレッジ新版の大きな試みです。
「国語」で扱う2つのテーマ:言語化と象徴の読み解き
そして今回は、その最初の教科である国語について。
リアル国語といえば、「主語・述語」や「古文・漢文」のような感じですが…
脳トレカレッジで扱う国語は、もっと根源的なもの――
- 「言語化」
- 「象徴の読み解き」
という、2つの柱で構成されています。
1. 言語化とは“自分の気持ち”を翻訳すること
「言語化」というのは、そのままの意味で“気持ちを言葉にする力”です。
子どもが怒ってギャーッと泣いたり、自分の気持ちを表現できずにケンカ相手の髪を引っ張ったり…というのは、よく見る光景かと思いますが、それはまだ言語化の力が育っていないから。
何に怒っているのか、どこが悲しいのかを自分で理解できず、
ただ“身体の反応”として表に出している状態です。
でも、大人になっても――
「本当は何が嫌だったのか」がわからないまま相手を責めたり、
“もやもや”の正体がつかめずに落ち込んだりすることは、誰にでもあります。
自分の気持ちを、自分の言葉で言い表せるようになること。
それが、内的コミュニケーションの第一歩であり、自己対話の土台です。
2. 象徴の読み解きとは、“わたし”からのメッセージを受け取ること
もう一つのテーマである「象徴の読み解き」は、少し聞き慣れないかもしれません。
これは私自身が、日常生活やメンバーさんとのコンサルの中で常に使っている感覚です。
たとえばコンサル中、話の中に出てくる
「昔○○○なことがあって〜」
「で、最近△△△な出来事があって〜」
「そういえばこれから友達と会うんですけど、その子が××で〜」
みたいなエピソードから、共通するモチーフみたいなものを抜き出して、それらを組み立ててメッセージとして理解できる形に整えていく、みたいな。
(説明が難しい…)
雑にいうと、例えばこのブログ(私のシンクロは植物縛り)に書いてあるようなことも「象徴の読み解き」の1つです。
言葉にならない“わたし”からのメッセージを、象徴として現実に浮かび上がらせてくれている。
それを読み解くことで、現実がこじれている部分や、次に進むためのヒントが見えてきます。
この象徴の翻訳作業が、脳トレカレッジの国語で扱うもう一つの大きな柱です。
↑
とはいえ、こちら象徴の読み解きは玄人向けなので、一応出すけれど触りだけキャッチできれば十分な程度です。
国語とは、「自分の中に言葉を取り戻す」教科
つまり、ノートレカレッジにおける国語とは――外の世界の言葉を学ぶのではなく、自分の内側の言葉を取り戻す学びです。
言語化によって“今ここ”の自分を理解し、
象徴の読み解きによって“奥にある意図”を思い出す。
この2つの力が、あなたの自己対話力を飛躍的に高めていきます。
ということで前置きが長くなりすぎましたが!
第一回目の本題に入っていきます。
自己対話の相手って、誰?
では早速、本題に入っていきましょう。
私はこの「脳トレカレッジ」というものを立ち上げたものの「自分はいったい何をやっているんだろう?」と悩み続けた時期が、10年ほどありました。
けれど、ある時ふと気づいたんです。
――ああ、脳トレっていうのは“自己対話のこと”だったのだ、と。
つまり、自己対話のスキルを気づかぬうちに教えていた、ということに気づいてからもう2年ほどになります。
自己対話って、そもそも“誰と誰の会話”?
最近は「マインドフルネス」「内省」「瞑想」など、“自分と向き合う”という言葉が一般的になりました。
ただ──「自分と向き合う」その“自分”って、誰のこと?
と考えたことがある人は、案外少ないのではないでしょうか。
そこで、脳トレカレッジではまず最初に、
「自己対話の相手とは誰か?」
という根本の定義から整理していきます。
自己対話には2つの層がある

結論から言うと、自己対話の相手は大きく分けて2層あります。
それが、先ほど国語の二大テーマとして紹介した「言語化」と「象徴の読み解き」に対応しています。
- 第1層:ペルソナと感情(エゴ)の対話=言語化の領域
- 第2層:セルフ(魂)との対話=象徴の読み解きの領域
まずはこのうちの第1層から見ていきましょう。
第1層:ペルソナと感情のコミュニケーション
自己対話の第1層とは、脳と心――つまり思考と感情のコミュニケーションを指します。
これは、世の中で言われる「内観しましょう」「自分と向き合いましょう」というテーマの多くが該当する層です。
実は、私が2014年に副業として出していた「脳と心のミーティングセラピー」という幻のメニュー(※一つも売れなかった笑!)も、まさにこの“思考と感情の会話”を整えることを目的にしていました。
ペルソナ=社会とつながるための仮面
私たちは、生まれたときには「素のままの存在」ですが、家庭や学校などの中で、少しずつ“社会と関わるための仮面”を身につけていきます。
この仮面――つまりペルソナは、いわば心のお洋服のようなもの。
小学校に裸で登校する子がいないように、私たちも社会に出るときは、何らかの「心理的な服」を身につけていく。
そして、いつの間にか仮面=自分そのものだと思い込んでしまうのです。
感情の声が聞こえなくなると、人生がこじれる
ペルソナを被るのが上手な人ほど、感情との“電話線”が切れやすくなります。(今はwi-fiかしら☎️)
その結果、自分の気持ちがわからなくなる。
たとえば学生時代の進路選び。
- 「どこの学校へ行きたいのか」
- 「そもそも大学に行きたいのか」
- 「大学なのか専門学校なのか」
- 「海外へ出たいのか」
選択肢を前にしても、自分の“本音”がつかめない。
同じようなことが、恋愛でも起こります。
- 「嫌いじゃないけど、特別好きでもない」
- 「相手の気持ちに応えたいけれど、心が動かない」
- 「一人は寂しいけれど、この人でいいのか分からない」
感情がわからないまま行動することで、人生は簡単に“こじれ”を起こしてしまうのです。
第1層の自己対話は、「感情とのコネクトを取り戻す」
だからこそ、この第1層での自己対話は、ペルソナ(思考)とエゴ(感情)を再びつなぐ作業です。
言い換えれば――「感情を持つことを許す」練習。
“感じる私”の声を取り戻すことが、すべての土台になります。
ここが整うことで、次の第2層――“わたし”(セルフ)との対話へと進む準備が整っていきます。
第2層:ひらがなの私(セルフ)との対話
さて、第1層の自己対話では、
ペルソナと感情――思考と心のあいだをつなぐコミュニケーションを扱いました。
ここからもう一歩、深い層に進みます。
それが、第2層の「ひらがなの私(セルフ)」との対話です。
この領域を説明するときによく出てくるのが「魂」という言葉です。
私は文章では“わたし”と表現していますが、口頭で話すときはあえて「魂」という言葉を使うこともあります。
(口頭でわたしっていうと音的に混乱しやすいので)
でもイメージとしては、宇宙とか神とかハイヤーセルフといった壮大な概念よりも、 もっとキュートで親密な、“内側にいるもう一人の自分くらいでちょうどいい。
「魂」と聞くとスピリチュアル寄りの印象を持つ人も多いかもしれませんが、ここで扱いたいのはそうした神秘的なものではなく、あくまで「本当の私」――“わたし”との自然な対話です。
“わたし”と会話するのは、少し難しい
正直に言うと、この第2層での対話は、第1層(ペルソナと感情)よりも何倍も難しいです。
なぜなら、第1層では明確な2者――ペルソナ(健在意識)と感情(エゴ)がはっきり分かれていました。
思考と言葉で整理しやすく、感情を観察しやすい構造です。
しかし、第2層においては、その対話構造が少し変わります。
ペルソナとセルフが直接会話するのではなく、「観測者(メタ意識)」と「ひらがなの私」が向き合う形になるのです。
詳しくは「“わたし”と対話するには?」で解説するので、一旦次に行きます。
実践編:感情とひらがなの私、2つの言語で対話する
では、ここからはいよいよ実践です。
第1層と第2層――つまり、①感情と②“わたし”、この2つと実際にどうやってコミュニケーションをとっていけばいいのでしょうか。
異文化コミュニケーションだと思ってみる
この「自己対話の方法」をイメージするとき、一番わかりやすいのは異文化の人と話す感覚です。
たとえば、私たちは日本人なので、日本語を使ってコミュニケーションをとります。
日本語には、オノマトペ(擬音語)が豊富だったり、“わび・さび”のように他の言語に訳しにくい文化的ニュアンスがありますよね。
英語に翻訳するときに「wabi-sabi」とそのまま使うことがあるように、言語にはそれぞれ“独自の文化”が存在します。
自己対話も同じ。
感情の言語と、“わたし”(魂)の言語は、まったく異なる文化を持っています。
なので通訳が必要です。
第一層の自己対話:感情と話すためには「思い出す」だけでいい

じゃ早速「自己対話ワークをやってみよう!さぁノートに書くぞ!」
と意気込んでも、いきなり自分の感情をスラスラ書ける人はほとんどいません。
それは、英語を習ったことのない人が、いきなりネイティブみたいに話そうとするようなもの。
でも、ここでひとつ朗報があります。
私たちは本来、感情という言語のネイティブです。
赤ちゃんのころ、泣く・笑う・怒る・怯える――
すべては“感情”という原始的な言語で行われていました。
つまり、私たちは一度その言語を使いこなしていたんです。
ただ、大人になるにつれて“言葉による社会的コミュニケーション”に偏りすぎ、感情言語を忘れてしまっただけ。
思い出せばいいだけなんです。
「感じる」ことを、日常に戻していく
感情とのコミュニケーションを取り戻すには、特別なワークよりもまず、“感じる”ことを意識的に思い出していきます。
朝起きたら、お水を飲む。
「冷たいなあ」「気持ちいいなあ」と感じてみる。
外に出たら、風を感じる。
「今日は晴れてるな」「風がやさしいな」と感じる。
ランチの匂いを嗅いで、「お腹すいたな」と感じる。
感じる、感じる、感じる、感じる、感じる――
この“感じる連続”こそが、感情との会話の再開です。
感情は呼び戻すものではなく、感じることで自然に戻ってくるもの。
これを数日、数週間と続けていくと、次第に“心の通信回線”が戻ってくるのがわかります。
感じられないときは「身体」を使う
それでも「何も感じられません」「心が動かない」という人もいます。
そんなときは、身体感覚を入口にするのが早道です。
怒りを感じたとき――体が熱を帯びる。
絶望を感じたとき――血の気が引くように冷たくなる。
こうした反応はすべて、感情と身体のリンクです。
もし感情を“感じよう”としてもわからないときは、体のどこに反応が出ているかに注目してみてください。
胸が重い、喉が詰まる、背中が固い――それも立派な感情のサインです。
それすらもわからない場合は、まず身体をゆるめることから。
自己対話を学前に、とりあえずマッサージ&鍼&整体&岩盤浴&エステ&サウナあたりに行って来てください。
話はそれからです。
第二層:“わたし”とのコミュニケーションについて(予告編)

最後に少しだけ、自己対話の第二層にあたる“わたし”とのコミュニケーション方法にも触れておきましょう。
ただし、ここは第1層のコミュニケーションが無意識レベルで自然にできるようになってから初めて体験できる領域です。
今回は「次の層にはこんな世界がある」という紹介だけにとどめておきます。
椅子のこちら側にいるのは“ペルソナ”ではなく“観測者”
第1層での話し相手(登場人物)は、ペルソナとエゴ――つまり思考と感情という2者の対話でした。
椅子のこちら側(自分側)にペルソナが座っているとしたら、椅子のあっち側(相手側)にエゴが座ってる感じ。
相手が明確で、くっきりと関係が見える構造でしたよね。
けれど、“わたし”との対話は少し違います。
もし“向こう側の椅子”に“わたし”が座っているとしたら、こちら側の椅子に座るのはペルソナではなく「観測者(メタ意識)」です。
「私は頭ではこう考えているけれど、感情ではこう感じているな」
「思考と心が少しばらけているな」
そんなふうに、自分自身を一歩引いた場所から眺めている――いわば自分の意識が1メートルほど後ろに抜け出したような視点。
その“もう一人の観測者”が、“わたし”と対話を始めるのです。
ひらがなの私の言語は「象形文字」
ひらがなの私が使う言語は、いわゆる“言葉”ではありません。
それはまるで、古代エジプトのピラミッドの内部に刻まれた象形文字のようなものです。
何かしらを表したと思われる「絵」が描かれていても、現代人にはすぐに意味がわからず、考古学者が時間をかけて解読する。
それと同じように、ひらがなの私も象徴というかたちでメッセージを送ってくるのです。
象徴は、数字・イメージ・言葉の断片で届く
この象徴にはいくつかのパターンがあります。
- ビジュアルや夢の中のイメージ
- ふと目にする単語や偶然の一致
- 数字の並び(いわゆるエンジェルナンバー)
たとえば「2222」という数字を何度も目にする。
それ自体には意味がないように見えても、それが“わたし”からの呼びかけであることもあります。
「だから何?」と思うのが普通です。
最初はそれで構いません。
この象徴たちは言語化を待っている未翻訳のサインなので、読み取りにくくて当然なのです。
未来のあなたは、象徴を読む人になる
新装版・脳トレカレッジの1年の学びを進めていくうちに、この象徴とのコミュニケーションは少しずつスムーズになっていきます。
植物モデルでいえば、球根期を経てセルフフラワーとして開花するころ――
あなたの内側では、象形文字のようなサインを自然に読み取る感性が育っています。
「2が続くのには意味があるかもしれない」
「この夢のシーン、もしかして私の意図を映している?」
そんなふうに、“わたし”の言葉を翻訳できる“象徴読解者”としての自分が目覚めていくのです。
その日を楽しみに、まずは第1層――感情との会話から始めてみてください。
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