
植物モデルを書き終えたし、いい加減、カリキュラムのほうに入ろう…と思いつつ、どーしても、どーしても
思考がエゴフラワーから離れてくれない
ちょこちょこ「病という名のインナーフラワー」とか「妊娠・出産とエゴフラワー」とか補足を書いてみたけど、どーにもそれだけでは先に進めないらしい。
というころで、もういっそ、とことん考え直してみたところ…私ガビーンとなりまして。(←古)
エゴフラワーの定義付けが甘すぎた!
私の視点があまりにも狭かった。
もはやスライディング土下座案件。
こういうカリキュラムって「ひとまず作って→ブラッシュアップして」って流れじゃなかったっけ?
作ってる途中からブラッシュアップ入って、もはやこれ先に進めるのか心配です。
ということで、今回は「エゴフラワーの定義をガラッと変更します」宣言です。
今までの“エゴフラワー観”は、外側だけを見ていた
これまで私は、エゴフラワー=「自分のエゴを社会というカテゴリで咲かせた人」の総称だと考えていました。
つまり、「これが私!」「すごいでしょ!」みたいに、社会的立場や成果で自分を証明している人たちのこと。
でもいろんなメンバーさんの顔を思い浮かべると
「あの人はどうみてもエゴフラワー通過済みだけど、社会的地位的な意味ではちょっと違うよな…」
「あの人とあの人は“同じくらいの進捗”に見えるけど、ぱっと見の印象が違う…一体この違和感は何だ?」
みたいな疑念が、私の中でむくむくと湧いてきてて。
この1週間くらいずーっとエゴフラワーについて想いを馳せていたのですが、やっとわかりました。
私が最初のコラムで定義していたエゴフラワーは、ほんの一部で、咲き方のバリエーションがもっとたくさんある、という結論に至りました。
そもそもエゴフラワーを咲かせる目的は
「私はここにいる!」
「これが私だ!」
という、自立宣言というか、分離の宣言な訳で。
「咲く」とは、必ずしもポジティブな自己実現ではなく、エゴが自分の存在を認識することそのものだと考えると…
バリエーションめっちゃあるよなと思って。
↑
この視点から見てみると、今まで「花瓶のフチ子」だと思っていた人たちがほぼみんな
「この人たちもう花瓶からとっくに出てるじゃんw」
このような見え方になってくるから不思議。
そして基準って大事。あぁ…基準の設定むずかしい。
ということで!
改めまして、エゴフラワーの咲き方辞典ということで
ざっくり4つのパターンに分けて、その中で3つか4つさらに細分化してみました。
「エネルギーの向きが外向きか?内向きか?」
「成長に対して肯定的か?否定的か?」
↑
ざっくりこれらの指針から分けています。
- エネルギーが外向きで、変化や成長に対して肯定系
- エネルギーが外向きで、変化や成長に対して否定系
- エネルギーが内向きで、変化や成長に対して肯定系
- エネルギーが内向きで、変化や成長に対して否定系
でもこれAIに「こんな感じもあるんじゃない?いや、でもあの人はこんなパターンで!」とかやりながら、昨日雑に作ったばかりのやつなのでw
きっとそのうち、このパターンも微調整します。
が、今はそれより先にエゴフラワーの定義を訂正したい。
A. 順行型(肯定で咲く)
エネルギーが外向きで、変化や成長に対して肯定系

「私はこう生きたい」
世界に自分を刻もうとするエネルギー。
成長することに対して肯定的な人で、エネルギーの質が外向き。素直。
1. 自立型
親や社会の庇護を離れ、「自分の力で立ちたい」と証明したい花。
疲弊や孤独を経て、「支える/支えられる」の循環を学ぶ。
フリーランスや経営者、ワーホリとかに多そう。
→ 成熟すると、責任と自由を両立できる“大人の自立”へ。
2. クリエイティブ型
「私の作品で世界を変える」と情熱的に咲く花。
感性が強く、世界を創造しようとするが、燃え尽きや自己否定で枯れやすい。
モノづくり関係、展示会とかに出てる作家さんとか。
→ 成熟すると、「創造=祈り」という静かな意識に転化する。
3. 貢献型エゴフラワー
「誰かのために」「人の役に立ちたい」で咲く花。
優しさと献身が美徳だが、自己喪失を招きやすい。
職場での昇進を受けるキャリア系や、母、ヒーラーさんなど。
→ 成熟すると、「与える=循環の喜び」へと変わる。
B. 逆行型(反発で咲く)
エネルギーが外向きで、変化や成長に対して否定系

「そんな世界、信じない!」
否定を通して“私”を確立するエネルギー。
成長することに対して否定的で、エネルギーの質が外向き。ニヒルとか毒舌キャラとかみたいな。
4. 拒絶型
宗教・常識・スピ系など、何かに反発して咲く。
「あんなの嘘だ」「私は騙されない」と断固拒否。
西洋医学を目の敵にするオーガニック信者とか。
→ 孤立と疲弊を経て、真の信頼と受容を知る。
5. 怒り型
怒りを燃料に「不当を正したい」と立ち上がる花。
正義感が強いが、戦い続けて疲弊する。
「この会社はこのままじゃダメだ!」など怒りを原材料に、自分の主張を行う人など。
→ 成熟すると、怒りの裏にある「愛」を理解する。
6. シニカル型
「どうせ無理」「期待しない方が楽」と距離を取る花。
冷静さゆえに孤独を選びがち。
熱血タイプの人に冷ややかな目線を向ける組。
→ 成熟すると、内的な静けさと洞察を得る。
7. 抵抗型
「見えない力」や「運命」に反発して咲く。
「自分の力で勝つ」「誰も信じない」という強固な意志。
クラファンや寄付など、他人に協力してもらうことに対して嫌悪感がある人など。
→ 成熟すると、宇宙との共同創造を受け入れる。
C. 擬態型(仮面で咲く)
エネルギーが内向きで、変化や成長に対して肯定系

「ちゃんと咲いてるでしょ?」
外見を整えながら、内側は空洞。
成長することに対して限定的に肯定、エネルギーは内向き。(成長しているように見えることが重要)
優等生、いい子ちゃん、善良な市民系。
8. 承認依存型
「いいねされたい」「認められたい」で咲く。
他者依存が強く、虚しさに直面する。
SNSが主戦場のドヤ系インフルエンサーや、素敵な私を演出する投稿が多い人など。
→ 成熟すると、他者評価ではなく“自己承認”が満ちる。
9. 役割型
「母」「妻」「社長」など役割そのものを自分と同一化。
「ちゃんとしなきゃ」が口ぐせ。
子供が巣立った後に呆然とする女性、定年退職後に急に老ける男性など。
→ 役割を失う痛み、もしくは欲しい役割が与えられずに苦しむ期間を経て、“存在そのものの価値”に戻る。
10. 努力型
「頑張る私」で自我を支える花。
止まると怖い、常に“もっとやらなきゃ”。
努力すること=存在価値になっていて、必要以上に常に努力をしている人など。
→ 成熟すると、「ただ在る」ことに戻る。
D. 内向型(陰影で咲く)
エネルギーが内向きで、変化や成長に対して再定義したい系

「外では咲けないけど、内で咲いている。」
痛みや沈黙の中で芽を守る花たち。“成長すること”の再定義をしたい人で、エネルギーは内向き。
感受性が豊かなアーティスト型。
11. 病的開花(インナーフラワー)
病気・不調・依存を通して自分を守る花。
「もう無理」「動けない」と停止することで再生を準備。
珍しめの病や、精神的な不調が長期にわたって抱えてる人など。
→ 成熟すると、身体と魂の対話が始まり、癒しの知恵を得る。
>>>前に補足で書いたこれ
12. 空想開花
夢・創作・妄想の中に世界を築く花。
「現実より空想の方が安心」。
未発表の小説や絵など創作物をたくさん作ってる人など。
→ 成熟すると、創造と現実の橋渡しができるようになる。
13. 孤高開花
人間関係を最小限にして内側の世界を守る。
「一人が好き」「関わると疲れる」。
究極の陰キャを極めし者。
→ 成熟すると、沈黙の中から叡智を受け取る。
14. 信仰開花
宗教・師・理想に絶対帰依する花。
「この先生がすべて」「この教えが真実」。
特定の宗教を続けている人や、カリスマインフルエンサーのお付きの人々。
→ 幻滅を経て、外の神から“内なる神”へと転化する。
エゴフラワーとは、「私を証明したい」叫び
こうして見ると、咲き方のパターンが違うだけで、年齢的にも「大人」の部類に入っている人たちは、ほぼ全員
エゴフラワー期
なのではないか?と言う結論に至っています。
順行であれ、逆行であれ、擬態であれ、内向であれ、すべてが「私はここにいる」と叫ぶための咲き方。
どのタイプも、咲いたあとには必ず「枯れ」が訪れ、その先で球根になり、“わたし”と出会うことで再開花が起こる…という流れかなと。
そして「私は1タイプ!」と、必ずしも1つのタイプに固定されるわけではなく、エゴフラワーとして咲いている期間の中で、1タイプとして咲いてみる期間があったり、その途中で挫折して5タイプになってみたり…。
なんとなくその人の生育環境や資質で、ABCDのタイプの枠はありそうですが、近しい枠の隣に移動したりとかあるような気がしてます。
そして私が以前書いたエゴフラワーの解説記事は
- A-1:自立型
- C-8:承認依存型
↑
エゴフラワー期の中でも目立ちやすい、この2パターンが混ざったような状態のみを解説してしまっていたなぁと。
なので改めて今回の記事で訂正します。
結論:自我=私という意識=分離体験
はーーーここまで書いてようやくスッキリしました。
どうにもこうにも先日までに書いたエゴフラワー解説だけだと「何かが足りぬ…!」と思っていたのですが、やっと「よしOK」な感じです
と言っても、ざっくり分類を試みただけなので、これからもっと詳しく探りたいなぁとは思っているのですが、とりあえず今はこの辺で。
親や周りの環境が自分だと思っていた時代(花瓶)を経て、さまざまな形で「私!」という分離体験をする。
その分離体験が終わると、枯れ&球根を経て「全体性」に戻って“わたし”と出会う。
私の感覚だけじゃ当てにならないけれど、実際ユング系の学者さんたちも似たようなこと言ってるらしいので、当たらずとも遠からずのはず。(←責任は故人に投げるスタイル)
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